洗心道場は京都東本願寺の教務所でしたが、東別院と統合され移転したため「何かに活用できないか」と話が持ち上がり、当時の輪番と故宮田一雄氏(元名古屋市剣道連盟会長)の間で、青少年の健全育成と人間形成を目的とし剣道場となりました。従って洗心道場は剣佛一如を基調として、親鸞聖人のお心「自らを反省し、感謝の念を忘れない」を道場訓に掲げ、技を磨くためには「まず人を作る」を目標に指導されております。それをわかりやすくするため道場訓として「一(ひとつ)、躾(しつけ)」「一、体力」「一、技」を三指標とし門下生に唱話させています。
洗心道場の”洗心”についての謂われは、大無量寿経に中に「洗除心垢」という言葉があります。汚いよごれた心の垢を洗い除くという意味から当時の輪番が「洗心」と名付けられました。また、道場に掲げられた額の洗心の書は、大谷派前門首の闡如上人による御染筆です。
洗心道場の初代師範長は故安田政次郎先生、二代目師範長は故加藤万寿一先生、三代目師範長は田中弘先生、現四代目師範長は内田信之先生(洗心道場一期生)と40年以上にわたり継承されています。
洗心道場の40年を越す歴史の中には各団体から「洗心恐るべし」の声を聞くほど、猛練習と先生方のご指導のもと、県内はもとより他県にまで有名になった時期もありました。道場一杯に掲げられた優勝旗・賞状、また隣接している東別院会館(旧青少年会館)に山のように陳列された盾・トロフィーひとつひとつが洗心道場で育った少年剣士達が築きあげた歴史です。そんな門下生達は高校・大学・社会人と活躍の場を移し、道場で培った剣佛一如の指標を全うすべく頑張っています。また、洗心道場をわが家、わが故郷のごとく忘れることなく訪れるOB達も少なくありません。
東別院の歴史
真宗大谷派名古屋別院(東別院)は、元禄3(1690)年、尾張の地に本願念仏のみ教えを伝える道場として、一如上人(いちにょしょうにん)(東本願寺第16代)によって開かれた真宗大谷派の寺院です。
当時の尾張藩主、徳川光友公(とくがわみつとも)より織田信長の父信秀(のぶひで)の居城「古渡城」の跡地1万坪の寄進を受けて建てられました。以来、約300年にわたり、名古屋別院は尾張の人々の信仰を仰ぎ、広く「御坊さん」の名で呼び親しまれています。
ところが、昭和20(1945)年3月12日の名古屋空襲によって別院はそのほとんどを焼失してしまいました。しかし戦後の混乱も治まった昭和37(1962)年、尾張門徒の総力をあげて現在の本堂を再建し、いまにその姿を伝えています。
最近のコメント
2連覇おめでとう!!
鬼高剣友会に負けてしまったけどよく頑張ったよ洗心さん。
ありがとうございました